2004年 12月 01日
私が私であるのは、これまで生きてきた私としての記憶があるからです。
もちろん、それは意識的な記憶だけでなく、無意識まで含めた全ての情報です。 そこには、脊髄反射から、肉体の傷まで、全てが含まれます。 では、それらの情報が全て保存されれば、物質的には不連続でも、私なのでしょうか? 物質的に「異なる」ことは、新陳代謝によって日常的に生じているので、「物質的に異なっても私である」と言わざるを得ません。しかし、それはあくまでも連続的な変化です。 SFでは、人間を粒子に分解し、情報化して遠隔地に送り、粒子から再構築して物質カする技術がよく登場します。(「粒子化して、その粒子を送る」のではありません。) しかし、「私」は、粒子に分解されてしまったのです。遠隔地に現れたのは「私の複製」に過ぎません。(この技術を使えば、クローニングによらない複製人間が作れます。) それは私なのでしょうか? 原子レベルで同一で、識別ができないなら、どちらが私なのでしょうか? 間違って元が分解されず、ふたりになってしまう事故が起きたとき、ふたりで話し合って、どちらかを消去できるのでしょうか? そのとき消去される側は、自分は死ぬのではなく存続すると意識できるのでしょうか? 最後の問いに対する答えは明確で、必ず自分が死ぬと感じるはずです。 SFでは、万が一の事故に備えて、遺伝情報と記憶を保存し、人間を再生する技術がよく登場します。 目覚めた私は、ついさっきまで横たわっていたはずの記憶スキャナーとは違う、白いベッドにいることに気付きます。医師が告げます。 「君は事故にあって、再生されたんだ。」 しかし、私は、これまでの人生を覚えています。自分が、数十日で促成され記憶を注入された複製に過ぎないなんて、信じられません。 「私」は、死ぬとき何を考えたのでしょうか? 再生されることが解っていれば、平気で死ねるでしょうか? 決してそんなことはないはずです。 夢を見ました。救急車が来て運ばれるところから始まる長い夢です。 その終盤に目覚めたとき、救急車のサイレンが聞こえました。 予知夢? いえ、違います。サイレンが聞こえてきてから見た短い夢だったのです。夢を見始めた瞬間に作られた「それまでのお話」を体験と認識したのです。 脳は、記憶を捏造します。 夜、眠りにつきました。朝、目覚めました。夢は見たのかもしれませんが、記憶には残っていません。 私には、これまでの人生の記憶があります。 私は、本当に「私」なのでしょうか?
by raruth-h-r
| 2004-12-01 11:23
| ロジック
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